去る10月11日、仙谷由人先生がご逝去されました。10月の初めに連絡を取らせていただき、昼食をお誘いいただきましたが折り合わず、12月4日の夜にお会いする約束を頂いたばかりでした。もう一度、お会いしたかった。20年以上の長きにわたり、可愛がっていただき、ありがとうございました。72歳という早すぎるご逝去、ただ寂しく、悲しく、残念でなりません。ここに先生のご遺徳を偲び、謹んで哀悼の誠を捧げます。
仙谷先生には、1996年10月の総選挙でカムバックされて以来、ずっとお世話になってきました。政治家にとって、政策力と政治力の両方が必要だということを身をもって教えてくださったのが仙谷先生でした。
まずは公共事業の見直し。「焦眉―土建国家日本の転換」というご著書を仙谷先生から頂きましたが、不要不急の公共事業見直しを早くから説かれていました。まさに魁でした。吉野川第十堰が可動堰化される計画が持ち上がると、反対運動を全面的にサポートされました。私も含め、多くの国会議員を現地に招き、問題の所在を理解させ、反対の機運を高める大きな役割を果たされました。この問題は結局、住民投票に諮られることになり、圧倒的な反対多数で可動堰化計画は白紙となります。一度決まれば止められないと思われていた公共事業計画を、止める実例を作ることに大いに貢献されました。そして先生の主張、行動が民主党政権の柱の一つ「コンクリートから人へ」の源流となりました。この金看板は、今なお普遍性を失っていません。
インフラ輸出は現政権の専売特許のように思われていますが、この先鞭をつけられたのは民主党政権で国家戦略担当大臣を務められた仙谷先生でした。国際協力銀行の現総裁は前田匡史さんという方ですが、前田さんがまだ駆け出しの頃、常に先生のそばにおり、最初は仙谷事務所のスタッフかと思ったほどでした。前田さんが総裁になられ、仙谷先生の慧眼に改めて敬服した方は少なくないと思います。それほど、仙谷・前田コンビは連携して、様々な国へのインフラ輸出に取り組み、実現されていました。
東日本大震災が起きてからは、仕事師・仙谷由人の面目躍如といった感がさらに強くなりました。官房長官を辞任された後でしたが、副長官に再び任命され、優れた政治手腕を発揮されて震災の復旧・復興に尽くされました。野田政権の時、私は政調会長として仙谷先生とコンビを組ませていただきましたが、東京電力の再建問題は全て仙谷先生にお任せしました。一切、口を挟みませんでした。今の東京電力が当たり前にあるのではなく、きちんとした、正しい再建の方向性を仙谷先生が打ち立てられたからこそ、今の東京電力があるのです。電力政策の転換となる発送電分離も、仙谷先生が最初にレールを引かれました。並外れた理解力、そして人脈のネットワーク、役人を掌握する人間力、時には非情に仕事を進めていく冷淡さ、それでいて必ず飲みに誘い、フォローし、温かく人と接する包容力。全て兼ね備える仙谷先生だからこそ、人は付いていき、結果を残されてきたのだと思います。
仙谷先生の名誉のため、これだけは申し上げておきたいと思います。海上保安庁の船に対する中国漁船衝突事件が起きた時のことです。中国人船長を釈放し、仙谷先生は批判を受けられることになります。その結果、民主党政権の負の遺産を一身に背負われる形になり、選挙で落選され、引退につながりました。あれは、仙谷先生の思いではありません。本意ではありません。官房長官は女房役。総理から言われれば、自分の意見と違ってもやらなければなりません。泥を被らなくてはなりません。それを愚痴を言わず、やり遂げるのが仙谷由人という人です。言い訳をしない。結果に責任を持つ。今なら、地元・徳島の皆様はわかっていただけると思います。
長年、政治家をやっても、具体的な成果を上げられる人は、中々いるようでいません。私が目にしただけでも、多くのことを成し遂げてこられました。しかしこれも、氷山の一角でしょう。国政に残されたご功績は、広範であり、多大であります。しかし、仙谷先生の真の偉大さは、人を育て、人を活かし、人を使うところにありました。まさに国益に基づいた人間愛。だから人は仙谷先生を慕い、仙谷先生の下に集まりました。「チーム仙谷」という言葉も生まれ、議員や役人、記者の仙谷事務所通いは、落選された後も続きました。皆さん、政治には厳しく、仲間にも厳しく、それでいて人懐っこくて寂しがり屋の人間・仙谷由人が大好きでした。
もう一度政権交代を。仙谷先生の思いでもありました。悲願でもありました。仮にご存命中に政権交代が再び起きていれば、議員でなくても、どの様な立場でも、先生は枢要な役割を果たされていたと思います。使わなくては日本にとってもったいない。それほど、先生の政治力、実行力は衆目の一致するところでした。
仙谷由人先生、今まで沢山の愛情をかけて頂き、ご指導、ご支援を頂いたこと、決して忘れることはありません。誠にありがとうございました。先生の日本政界におけるご功績は、これからも燦然と輝き続けます。そして先生の政治や故郷・徳島に対する熱い思いは、多くの仙谷門下生に受け継がれ、日本、そして徳島の発展に必ずつながると確信しています。お疲れさまでした。ありがとうございました。どうぞ、安らかにお眠りください。先生のご冥福を心からお祈り申し上げ、追悼の言葉とさせていただきます。
平成30年12月22日
衆議院議員 前 原 誠 司