前原誠司(民進党京都府第2区総支部長 衆議院議員)

“センター”への道は切り拓けるか~「生活保障と税」の政策論から政治を変える~
対談 井手英策×前原誠司(「世界」岩波書店 886号2016年9月より)

根深い野党不信

 今回の参議院選挙を経て、自民党はじめ憲法改正に前向きとされる「改憲勢力」が、衆参両院で三分の二を超える議席を占めることとなりました。こうした見通しは事前の情勢調査で伝えられていましたが、多くの人びとの関心は今回も社会保障、経済政策、また消 費税の問題に寄せられ、憲法改正を強く望む声や、その論議が深まっているとの反応は世論調査などでもそれほど見られませんでした。
 近年、待機児童や奨学金負担など、子育て・介護・雇用あるいは教育の問題に関心が集まり、人びとの日々の暮らし、将来設計に関する不安はいっそう高まっています。他方、巨額の政府債務を抱えて社会保障財源をどうするのかという点もかねてより懸念されてい ます。
 きょうは、財政学者の井手英策さんに聞き手役も担っていただきながら、民進党の衆議院議員・前原誠司さんと、いま、もっとも重要な政治課題とは何か、お話しいただきたいと思います。

井手 まず、このたびの参院選の結果をどう受け止めておられますか。いま、「三分の二」の話もありましたが、前原さんは自他ともに認める民進党内の改憲派です。今後の憲法改正論議への姿勢を含めて、現在のお考えをお聞かせ下さい。

前原 今回我われが敗北した大きな理由は、端的に野党に魅力がない、自民党のほうが「まだまし」と、国民の多くが思っているということだと受け止めています。
たとえば、選挙直後の朝日新聞による世論調査では、与党の獲得議席が過半数を大きく上回った理由として、「安倍首相の政策が評価されたから」と答えた人は一五パーセントです。自民党、安倍首相への評価は必ずしも高くない一方、「野党に魅力がなかったから」と回答した人は七一パーセントに達しています。
 選挙応援で各地を回って、三年前の参院選よりは、民進党に期待する声もあると思いました。しかし、街頭演説のあと商店街を歩いていると、「どんなに聞こえのいいことを言っても胸に響かない」「民主党は噓つきだ。『高速タダ』と言ったのに、ここまで来るのに私は高速料金を払った」とおっしゃる方がいた。三年三カ月間の民主党政権の失敗と、その後の党のあり方に対して、失望、不信感が払拭されていないと肌で感じました。
 その中にあって、今回の選挙で民進党は三二議席を獲得しました。三年前の一七議席と比較すれば、若干の回復傾向にある。また野党共闘については、前回は一人区での野党獲得議席は岩手と沖縄の二議席でしたが、今回は一一勝二一敗。共闘ゆえに離れた票もあるとは思いますが、三二の一人区全部で野党統一候補を立てたことで、票の受け皿ができた。大成果とまではいきませんが、各党バラバラで闘っていたらもっと悲惨な結果になっていたはずです。
 しかし、ここで満足していたら、民進党は野党の地位から逃れられなくなります。次は衆議院選挙―つまり政権選択の選挙です。民進党はじめ野党は、まずそれぞれ自分たちの政策、政権構想を高く掲げて闘わなくてはいけない。
 その中で、今後、党内できちんとしたマネジメントが求められるテーマがあります。
 一つはいま言われた憲法です。岡田代表は、安倍政権下での憲法改正については反対、今回の選挙でも「三分の二阻止」を主張しました。
 安倍自民党は今回含め過去四回の選挙で、すべて経済を前面に出して闘いました。しかし、その後の国会では、選挙の時には明確に争点になっていなかった特定秘密保護法や安全保障法制を数の論理で強行採決した。乱暴な手法が続いてきたことをふまえて、岡田代表が安倍政権下でまともな憲法論議ができるのかと懸念したことは、理解できます。
 ただ、希望的観測で二つ申し上げるなら、まず公明党は三分の二の議席を占めた「改憲勢力」としてカウントされていますが、その支持母体である宗教団体は、九条を含む憲法改正論には相当慎重な姿勢をとっています。ですから公明党まで憲法改正論を拙速に進めるとは考えづらい。
 もう一つ、先ほど挙げた安保法制などと違って、憲法改正には、最後に国民投票の手続きがあります。国民の意思による歯止めがかかるわけで、自民党側も、これまでのような無茶が通るとはさすがに考えていないでしょう。

観念的保守と現実的保守

前原 井手さんが先ほど言われたように、私は、前文、九条、それから緊急事態条項がないという点では、憲法改正について議論する余地はあると考えています。そもそも九条二項に関して言えば、日本の再軍備を阻止するというGHQの意思があってつくられた条項です。ところが冷戦が顕在化し、朝鮮戦争が勃発するとアメリカは占領政策を変えて、今日の自衛隊へとつながる警察予備隊をつくった。
 私は自民党改憲草案のように、新たな役割を自衛隊に与えるべきだとは思いません。現行憲法の平和主義の理念は、これからも尊重され続けるべきものです。ただ、当時憲法の条文を「読んで字のごとく」となるよう改正していれば、「自衛隊違憲論」が何十年にもわたってくすぶる余地はなかった。この持論は、ロジックの問題ですから、情勢しだいで変わる性格のものではありません。しかし、私は憲法改正が「最重要課題」とはまったく考えていません。次の政権交代、あるいは衆議院選挙を考える上でもっとも重要なのは、民進党が自公政権とは異なるどのような社会像を目指すのか、そして財源論から逃げずに、社会の分断を生まない分配政策をどう打ち出してゆくかということです。そのために、意見の幅がある憲法というテーマも含めて違いが断層とならないよう、党内をまとめる必要がある。
 民主党政権時代の大きな反省の一つは、親小沢だ、反小沢だということで、党内でいわば本気の殴り合いのような対立が生まれたことです。それで党を割る結果となった。非常にお粗末なガバナンスでした。安倍首相は憲法で仕掛けて、この問題で民進党を分断できると思っているかもしれませんが、それを逆手にとって、むしろ党の結束、懐の深さをアピールしていくことが大事だと思っています。
 もう一つ、真っ先に考えるべきは、安倍政治に不信感を抱く人たちの思いをどうやってくみ取るかということです。国民の皆さんのあいだでは、九条が戦争への歯止めになっている、平和のための安心材になっているとの思いは、法律論や歴史の議論を超えて浸透していると思います。この点をしっかりふまえて、慎重な対応をとらなければならない。

井手 社会保障、労働、環境、それに外交・安全保障にいたるまで、課題は山積しています。しかし、権力の座にあっても、全部一度には動かせない。大切なのは優先順位です。その点で前原さんは正しいと思います。
 ただ、いまはそう言っていても……という思いが残る(笑)。もしも前原さんが実権を握ったら、あるいは首相になったら、結局九条に手をつけるのではないかと心配する人もいるでしょう。改憲は「最優先でない」という世界と、「やりません」という世界は、やっぱり違うわけです。

前原 私は、いずれは総理になり、この社会を少しでも良くしたいという思いで国会議員を二三年間やってきました。それはいまでも変わりません。そして、歴代総理を見て思うのは、レガシーと言われるような大きな業績は、幾つも残せるものではないということです。どれだけの任期があるかもわからないなかで、自分自身が積み重ねてきたものの集大成として推し進めるテーマが、憲法改正だとは思いません。
 私は安倍首相と同じ一九九三年の初当選です。建替え前の議員会館では隣同士の事務所でしたので、お話しする機会もありました。しかし、生意気な言い方ですが、たとえば改憲派、保守派ということで同列に見られるのは私としては不本意です。首相は観念的保守、一方の私は、現実的保守にこだわりたいと思っています。
 安倍首相はおそらく、憲法改正について、祖父である岸信介首相以来の悲願として、あるいは自民党の党是として完遂しなければならない、そんな感覚なのだと思います。昨年の集団的自衛権に関する憲法解釈の変更も、必要性というよりは、ご自身の一つの欲求として実現したかったように見えました。しかし、今回の安全保障法制は、日米同盟の深化を掲げて、あえて日本からアメリカとの間合いを不用意に詰めて行こうとするものです。大局に立ったものとは思えません。
 もちろん、日米同盟は非常に重要です。それは一つには、歴代の自民党政権が情報収集、装備などあらゆる面で究極のアメリカ依存の枠組みを築いてきた現実があるからです。しかし、中東への関与を例にとっても、アメリカは当然、日本とは大きく異なる歴史的経緯、また周辺国との関係をもっているわけで、国益がまったく一致することはありえない。ですから、アメリカとの協力関係を強化しさえすれば日本の安全保障環境が良くなるという考え方に私は立てません。
 旧周辺事態法の範囲をわざわざ地球全体に広げ、重要影響事態法としたわけですが、立法事実とされたホルムズ海峡の機雷掃海も、邦人輸送中の米艦防護も、蓋然性がなかったことを政府自ら答弁しています。さらに、国際平和支援法では、従来のように個別法であれば国益に沿わない場合にはっきりノーと言えたところを、あえて恒久法として、常に協力するプラットホームをこちらから設けてしまった。
 共和党大統領候補のドナルド・トランプ氏は、日本は安全保障で米軍にただ乗りしている、米軍駐留経費をもっと負担すべきなどと述べていますが、彼が大統領になれば、この恒久法が日本の首を絞めかねません。

アベノミクスの本当の意味

井手 先ほど、衆院選に向け野党は安倍政権とは異なる社会像を示さなければ、とおっしゃいました。その中身についてお尋ねしていきたいと思います。まず、第二次安倍政権の経済政策―いわゆるアベノミクスをどう評価されますか。

前原 景気刺激策としての金融緩和と財政出動は、どの政権も、ある程度行なわざるを得ないところがあるとは思います。私が経済財政担当大臣を務めた当時、日銀の白川総裁は、緩和にきわめて慎重な態度をとっておられましたから、もう少し必要ではないかと日銀の政策決定会合で発言したこともあります。
 しかしアベノミクスは、「金融一本足打法」と言われるように、金融緩和に頼りすぎています。この壮大な実験の後も、銀行の貸付は増えずに、企業の内部留保は貯まる一方です。金利が下がって円安、株高にはなりましたが、それが賃金上昇まで行ったという実感をもっている人がどれほどいるでしょう。日銀による国債購入については、IMFも二〇一七〜一八年には縮小開始を迫られると予測しています。
 物価は上がっても賃金が横ばい、かつての制度改革では「一〇〇年安心」とうたわれた年金も、二〇一五年度給付からはマクロ経済スライドの発動で抑制されていますので、人々の暮らしは逆に苦しくなっています。そのことが経済の六割を占める消費を落ち込ませる要因となっている。安倍首相は「アベノミクスは道半ば」と言い続けるのでしょうが、日本の経済・財政は「体質改善」を迫られていると思います。

井手 私は、アベノミクスは歴史に残る、まさに空前の政策だったと思っています。様ざまな批判がありますが、私たちが本当に認識しなければならないのは、ごくシンプルな事実です。つまり、前原さんが「壮大な実験」と呼ばれたほど前例のない、大規模な政策を展開しても、結局、物価目標は達成できず、実質GDP成長率もたいして上がっていない。
 金融でダメなら次は財政です。補正予算の話も出ていますが、思い出して下さい。バブル経済崩壊後の九〇年代、巨額の国債を発行して減税と公共事業を行なっても、かつてのような経済成長は無理だった。借金頼みのバラマキ政策の限界は、歴史が証明しています。
 刀折れ矢尽きた状況で、これから、まだ懲りずに成長への道を突き進むのか。それとも成長に必ずしも頼らない道を切り拓くのか。私たちは、分岐点に立つというより、分岐点をつくりだせるか、という状況にいると思います。
 そのためには、先ほどおっしゃった「体質改善」がどうしても必要です。でも、前原さんには新自由主義的な改革派というイメージがあって、そこが心もとない(笑)。どうやって体質を改善するんでしょうか。

前原 民主党政権時代、国交大臣としてインバウンドの観光客を増やすため、中国からの個人の観光客へのビザ発給を開始しました。結果として富裕層の訪日が一気に加速し、財政を出動することなく成長が促された。あるいは羽田の国際ハブ空港化、国際コンテナ戦略港湾の指定など「選択と集中」を徹底したことも、体質改善を促す一つの方法だったと思います。
 ただ、井手さんの『一八歳からの格差論』(東洋経済新報社)、分断社会を終わらせる』(筑摩書房)を読んで、自分は大きな間違いをしていたと気付かされた。それは、「歳出削減イコール改革」と考えていたということです。本当に必要なところまで削ってしまっては、井手さんのご指摘のとおり、社会の分断をいっそう深めてしまう。

井手 まことしやかに語られる「支出の削減イコール財政再建」は本当か、ということですね。実は、低所得者へのいわゆる「弱者救済」ではなくて、中間層も含めて広くサービスを提供できている国のほうが、統計的に見て税収が大きい。政治的多数が受益者となって、自分の必要を満たしてくれる安心から、税金への抵抗が弱まる。こういう経路があります。

前原 支出を増やして、税への抵抗を弱めることで、結果的に財政再建を実現し得るという提案はとても意外でした。発想の転換を迫られたといった感じかもしれない。

一億総中流から「中の下」社会へ

前原 日本では、生活保護基準以下の収入の人のうち、実際に生活保護を受給しているのは二割弱。これは先進国のなかでずば抜けて低い数字ですが、反対に言えば、八割の人たちがやせ我慢しているわけです。子どもに学校で惨めな思いをさせたくないと言って、生活保護を拒む親御さんも多い。あるいは、私の知り合いのご家族は人工透析を受けていて、とくに腎臓透析には自治体から補助も出ますから、これ以上国には頼れない、介護保険は権利があっても使わないという。
 そういう状況を無視して、ただ生活保護費、社会保障費を削るだけでいいのか。生活保護のボーダーラインをさまよう人に限らず、雇用が不安定で、あるいは年金だけではやりくりがつかずに我慢を強いられる人は、日本にはいっぱいいます。こういう方々が、まずはもう一歩、前に進めるような政策をとらなければいけない。
 私は政治家として、「尊厳ある国家」を掲げてきました。外国からは賞賛され、内にあっては自らの国に誇りと自信をもてる国―そうしたビジョンです。しかし、自らの国に誇りと自信をもつためには、国民一人ひとりが、「人間としての尊厳」を保障されなければならない。人間の生活保障、尊厳保障のためのセーフティーネットをどう張っていくかがもっとも大事なポイントだと思います。

井手 「やせ我慢」は、日本社会の分断の本質を突く言葉ですね。最近、ある統計調査を見て驚いたのは、自分は社会において「中の下」であると答える人の割合が、日本は先進国のなかで一番高いのです。北欧諸国では「中」がもっとも多い。
かつて「一億総中流」と言っていた日本が、どうして「中の下社会」になったのか。おそらくこれには二つの側面がある。所得が減り、実際に中間層から剝落しつつある現実と、その一方で、自分は貧困層ではないという「やせ我慢」の意識。この二つじゃないでしょうか。
 世帯所得の変遷をみると、ピークは一九九〇年代半ば、それ以降、ほぼ毎年所得が減って、現在では二割近く落ち込みました。平均所得を下回る人も六割に達している。中間層がじわじわ貧しくなるなかで、低所得層の人たちへの底上げだけを重んじて格差是正を訴えると、負担増となる中間層の痛みが鋭く増すことになります。結果として、「中の下」という意識の人が、生活保護や障害者手当をもらっている人たちに敵意を向けてしまう。弱者へのルサンチマンという逆説。私はこの現象を「押し下げデモクラシー」と呼んでいます。

再分配へ向かう世界

井手 いまのアメリカを見ると、保守もリベラルも、政治課題は格差の是正です。イギリスのEU離脱の背景にも、所得階層間、移民を含む労働者間、世代間、地域間、人種間と、広い意味での格差問題がありました。これからスコットランドとの関係をどう維持するか、低所得層、労働者の支持をどうつなぎとめるかというとき、イギリスも再分配へと向かうでしょう。EU全体の予算もそうです。CAP(共通農業予算)は実は抑えられていて、今後増えていくのは知識基盤への投資、そして地域間の再分配です。
 日本では、これまで「分配か、成長か」という議論になりがちでしたが、今回の参院選では、むしろ「分配と成長の関係」が論点になった。単純にいえば、分配すれば成長するという野党と、成長して分配するという与党の対立です。その課題設定からの変化じたいは評価したいのですが、結局は成長論議の枠にとどまり、そこで議論は止まったままでした。なぜ野党は思い切った生活保障策を打ち出せないのでしょう。

前原 それは、民進党がもっとも反省すべき点です。「普通の人から豊かになる経済」、「人への投資」という方向性、キャッチフレーズは正しかったと思います。ただ、奨学金を貸与制から給付制にする、保育士給与を月額五万円アップするといった政策は、それぞれ非常に重要ですが、政策全体の大きな柱、理念自体は打ち出せなかった。
 また、消費税を引き上げられる環境ではないと民進党も言ったために、財源論が一つの大きな制約となって、大胆なことを言えない状況にも陥った。もちろん、そういう経済環境をつくった安倍政権に責任があるわけですが、その土台に我われ自ら乗ってしまったわけです。
 振り返ると二〇〇九年政権交代選挙の際には、高速道路の無料化、子ども手当、農家の戸別所得補償といった目玉の政策がありました。しかしこのときも、強力な商品を並べていながら、目指すべき社会像をふまえた、奥行きのある政策にはなっていなかった。典型例が高速道路の無料化です。どうやって維持管理していくのか、高速道路の民営化に伴う三〇兆円規模の借金の返済をどうするかを考えると、きわめて生煮えの政策でした。
 もう、こうした失敗を繰り返すことは許されません。あらためて訴えていくべきは、財源論から目を背けない生活保障システムの再構築です。消費税引き上げ分の残る二%も、もっと納税者の受益を増やす方向で使途を考え直したい。今回、野党は富裕者増税、企業増税しか打ち出せなかった。所得税、相続税、また配偶者控除、特別控除などもあわせて再検討しながら、「将来不安の払拭」「閉塞からの反転」という大きな柱を掲げる必要があると思います。

井手 前原さん、そして民進党が、今後、どのような再分配の姿を描いていくのかが問われるところですね。

前原 私は、どんな地域、所得の家庭に生まれても、あるいは障がいがあっても、等しくチャンスが与えられ、自己決定できる社会、安心と自由が調和した社会を目指したいと考えています。
 民主党政権は子ども手当の額、またその期間を小六から中三まで拡大した。高校授業料の無償化も実現した。しかし、これはまだ完成ではないのです。〇歳から五歳までの就学前教育を無償化し、高等教育も無償化に近づける―たとえば私学も国公立大学並みの学費にする。これらふたつを実現するには、消費税一%でよいのです。この一%で、すべての子どもに、チャンスが与えられる。演説会で、「消費税の一%を子どもの未来に使うことに反対ですか」と尋ねると、異を唱える人はほとんどいません。

財政は社会への貯蓄

井手 まったく賛成です。民主党政権時代、子ども手当の所得制限を受け入れたことは理念的な敗北だったと思います。中高所得層が「負担させられた」、あるいは「低所得者層だけが得をしている」と感じるような分断線はなくすべきです。
 私は、所得の大小で人を区別しない、誰もが負担し、受益者になる社会像を打ち出していただきたいと思います。あくまでも人間が生きていくためのニーズを満たすことがねらいで、結果として、格差も縮まる。格差是正を目的にする社会は、じつは格差ありきの社会です。それはおかしい。
 もうひとつ、「保障」イコール「無償化」と単純化してはいけない。子ども手当の意義は、各家庭の負担減だけでなくて、人間共通の「生きる」というニーズを保障する、すなわち人間の権利を大事にすることだったはずです。チルドレンファーストのさらに根底に、ヒューマンファーストがある。

前原 当然のことですが、国民の無駄への反発は非常に強いです。政府には、時間が経てば必ず不要な予算がでてきますので、それを見直す仕組みをきちんと機能させなければ、再分配への国民の理解は得られないと思います。
 しかしそれだけではいけない、ということですね。日本は国民負担率が低いけれど、その分働いて金を貯め、生活のニーズを自分でなんとかしてきた社会です。ヨーロッパ諸国は国民負担率が五〇〜六〇%です。日本は消費税が八%で、国民負担率が四四・四%。一〇〇〇兆円の借金を入れても五一%くらいです。いまの生活や、将来への不安を取り除くため、税は必要であると逃げずに言わなければならないと思います。

井手 痛税感、税を嫌がる気持ちを和らげていくうえで重要なのは、個人の貯蓄に未来を委ねるのではなく、未来がわからないからこそ財政に投資し、将来に備える、そういう社会を構想することではないでしょうか。
 貯蓄が過剰になるのは、人間はいつ死ぬかはわからないからです。しかし、実は財政とは、社会全体の貯金でもある。これさえ払ってしまえば、あとは病気になっても、介護が必要になっても大丈夫―そういう社会になれば、持っているお金をもっと消費に回せて、あとから成長もついてきます。

前原 井手さんの議論が興味深いのは、先の格差もそうでしたが、誰もが必要なサービスを提供した結果として好循環が生まれる、ということです。たとえば少子化対策を目的にしてしまえば、女性の生き方に直接プレッシャーをかけることになる。子どもに等しく教育のチャンスを与えることで、それが出生率の向上とか、経済成長に結果としてつながっていく。そういうサイクルをつくっていきたいです。

センターの扉を開く

井手 成長に頼るのか。あるいは規制緩和と財政再建を進めるのか。そうではなくて、成長に依存しなくても人間の生活が保障され、そのための財源論からも逃げない、出生率や経済成長を結果に変える政治を目指すのか。脱「成長」とも異なる脱「成長依存」。新たな選択肢が見え始めています。
 だからこそ、あえてお聞きしたいことがあります。前原さんは野党共闘の効果を積極的にとらえておられる。でも、野党共闘の枠組みの中で、このような社会のビジョンはそもそも受け入れられるのでしょうか。
 先にも指摘しましたとおり、今回、野党の公約を見ると、大企業・富裕者を税で狙い撃ちにする点は、ほぼ共通していました。しかし、それだけでは財源が足りない。だから共産党ですら、安倍政権と同様、名目二%程度の経済成長は必要だと旗を振ってしまう。
 もちろん、どの税を重視するかは、それぞれに哲学があっていい。でも、重要なのは、まずは受益を徹底的に議論し、そのための負担から目をそらさずに政策を訴えるという態度です。就学前教育、介護、障害者福祉、どこをどう強化するのか議論し、消費税、相続税、所得税、法人税など、税のベストミックスで税と税の間の公平をはかり、将来不安を払拭する。これを明確に打ち出すことが大事です。

前原 野党共闘の枠組みでどこまで合意できるか、それも大事ですが、そのためにもまずは、民進党としてどう考えるのかということでしょうね。政権交代選挙、そして、参院選での税と社会保障の政策は生煮えだった、あるいは奥行きが足りなかったことをふまえて、人間の尊厳を大事にした生活保障、財源論を正面切って打ち出すということだと思います。

井手 私がずっと引っかかっているのは、昨年、共産党との選挙協力について懸念しておっしゃった「シロアリ」発言です。この発言を踏まえてもなお、政策的に合意が可能であるかぎり、野党共闘はあってしかるべきだとお考えですか。

前原 政策がないまま枠組み論になることのリスクを伝えたくて、あのような発言をしました。過激ではありましたが、政策を置き去りにした枠組み論は不毛です。政策に主体性をもち、有権者の信頼を勝ち取ることが私たちの最重要課題です。枠組み論ありきでは議論が逆立ちしてしまう。政策論議を深め、共闘のフェイズをさらに進化させる。政策論議のすえの共闘努力こそ、私たちの責任だと思います。
 自社さ(自民党・社会党・新党さきがけ)政権を振り返っても、同じことが言えるはずです。安倍首相も、今回の参院選では「民共批判」をずっとやっていましたが、一九九四年の代表選では「村山富市」と書いて、一票を投じています。そうして自社さ政権が誕生した。その後、社民党へと変わりましたが、自衛隊を認め、日米安保を認めて、その結果として、今回の参院選では獲得議席一という政党になったわけです。
 私は政治思想的にセンターライトだと言われますけれども、センターライトからセンターレフト、そしてリベラル層まで包容していく懐の広さ、深さが求められていると感じています。私は民進党を大事にしていきたいし、野党第一党として二度と同じ失敗をしない責任がある。多様な意見をいかしつつ、できるだけ党内部にミシン目を入れない、社会の分断だけでなく、党の分断を避けなければいけない。

井手 私としては、すべてを包み込むセンターの思想のなかに、右や左の線を引かないでほしい(笑)。
 右・左の垣根を超えて、そこにヒューマンという視点を入れていくことによってセンターへの道をこじあけることは歴史的な課題でもあります。社会保障や教育には、右も左もありません。そこにあるのは人間の未来だけです。

前原 そのとおりですね。私は友人に、「我われが目指す内政の基本的な考え方は社会民主主義だ」と言っていました。でも、その社会民主主義が今日、さらに日本の状況にそくしたものへとブラッシュアップされた気がします。

井手 私も、分断を生まない社会、希望も不安も分かち合う社会は、結局は政治への信頼を回復しないかぎり、実現しないと思います。
 そのためにこそ、腰を据えて骨太な政策を打ち出す。そこに社会像や国家像をちゃんと重ねていく。今日前原さんがおっしゃったことが実現するのなら、「真ん中への道」が切り拓かれるのではないかと思います。

―本日はどうもありがとうございました。(構成・編集部 堀由貴子)

(出典:「世界」岩波書店 886号2016年9月)

対談 井手英策×前原誠司(「世界」岩波書店 886号2016年9月より)

「世界」岩波書店 886号2016年9月掲載の対談記事です。
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対談 井手英策×前原誠司(「世界」岩波書店 886号2016年9月より)

 


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